
高校留学にまつわる数々の資格
思春期とは、一人前でありながら一人前ではないという矛盾を含んだ時期ということなのである。
当然、悩ましい。
この時期にあるひとがめざすものの第一は、「大人」として一人で生きていくということになる。
国語という知的実技教科は、そのために寄与できるのではないかというのが、わたしの意見である。
「大人」とは何かについては、いろいろな定義の仕方が可能であろう。
仮に、その定義を「何に対しても自分で決断し実行することができ、人生の方向を自分で決定づけることができ、自らの人生に自ら責任の負えるひと」ということにする。
思春期にある高校生は、そう簡単に「大人」になることができない。
人生における決断をしようにもその機会は少なく、もしそのような機会が訪れたとしても、決断の材料に乏しい場合が多いからである。
実行したことの責任をとろうにもほとんどその機会がなく、責任の取り方も何もわからないからである。
思春期にある者が時間を経れば自然に「大人」になっていく、ということはない。
肉体の成熟を支えるのは、口から入る食べ物であり、ときが経てば肉体は自然に大人になる。
しかし、本当の「大人」になるには精神の成熟を待たねばならない。
精神の成熟にとっての食べ物とは、いったい何か。
頭や心に入り、そこにとどまる言葉なのではないか。
積極的に栄養になるものを(ひょっとすると、あまり栄養にならない嗜好品も含めて)取り入れるのがよいと思う。
国語はその手助けを一番直接的に、直接的なだけに効果的にできる教科だと思っている。
いろいろな言葉を取り込んでこそ、やがて直面する人生の決断も、自己に責任をとることも可能になろうというものである。
国語教師としての我田引水をもうすこし続けさせてもらおう。
ここまでいささか安易に「人生」という言葉を使ってきたのだが、「人生」の正体は何なのだろう。
わたしは「人生」が言葉と深く関わっている、言葉の運用こそ人生だという思いから離れられないでいる。
言葉で自分のまわりに広がる世界を理解し、言葉で世界を語る。
信念とか思いとかいう名のついた言葉を胸に、言葉で自分をかきたて、励まし、いろいろな行動を起こす。
加えて、言葉で自分の思いを吐露し、ひとと語り合い、交流し、人間関係を結ぶ……。
そういうことの総和を人生とよぶのではないか。
だとすれば、言葉をみがき、言葉の精密な運用をめざす「国語」という教科は、「人生」のすぐ近くにある。
「なぜ国語を学ぶのか」という問いへの答えは、シンプルである。
よりよい人生、より豊かな生のために学ぶのである。
とくに、おのれの人生を本気で考えはじめる、思春期にあるひとたちが、この教科を学ぶ意義は大きい。
高校三年生を担当したときのことである。
ある生徒が質問に来た。
そのときのことが忘れられない。
生徒の質問は、こうである。
「この問題がよくわからないんですが、わたしは答えをこう書きました。
一〇点の問題なのですが、この答えで何点になるのでしょう?」。
わたしは「そんなこと、すぐにわかるわけないじゃないか」と笑ったのだが、生徒の方はいたって真剣で冗談のようすはない。
仕方がないので、「じゃあ、わたしの方で本文を読んで考えてみることにするよ。
読む前に、本文の内容を要約して教えてくれないか。
どんなことが書いてあったのか、だいたいのところを教えてよ」というと、「それが何をいいたいのか、よくわからないのです」。
あ然とした。
何点取れるのかがわかれば、それでよいということらしく、それ以外のことへの興味は薄い。
おかしな質問の仕方をする生徒もいるものだと思っていると、また、別の生徒が同じような質問をもってくる。
一年間に、そういうことが何度もあった。
はじめは、あきれているだけだった。
しかし、やがてあきれているだけではいけないのではないかという気持ちが大きくなっていった。
彼らは、何のために国語という教科を学んでいるのだろう。
点数を国語の学力のすべてのように思い、点数を得ることばかりに集中することの愚を彼らが悟る日があるのだろうかと、暗澄とした気分になっていった。
国語という教科の目的が見えないまま、国語の点数を得る努力をスづけることは虚しい。
虚しい努力をつづけさせたくはないと心から思った。
国語をどのように勉強したらよいか、わからないという生徒は多いが、目的地が見えない状態で道を選定していくことは、ほとんど不可能である。
その結果の迷走ともいえる。
国語の学習においても、何のためにどこに向かって進むのかということを、はっきりと決めておくことが大切だ。
それをはっきりさせておけば、どのような道を行くかということも決められるだろう。
この本がその一助ともなれば、わたしとしては望外の幸せである。
「はじめに」で述べたように、本書は一義的には高校生に向けて書いた。
しかし、できれば「国語を教える方」にも読んでいただきたい。
「なぜ国語を教えるのか」について、意見交換したいものである。
土地を持つことに執着して何になるのか。
このように、いったん土地から住まいを切り離して考えてみると、住まいは利便性の高いものが良いということがわかる。
要するに、生活するのに便利なことは当然として、引っ越しにも便利で、転売するにも便利、しかも増改築にも便利なことが最高ということになる。
しかし、果たして、そういう住まいが本当にあるのか。
過去に人口土地とか人口台地なる土地の重層利用の提案があったが、なにせ割高についた。
今日ではもっと軽量でダイナミックな架構法がある。
名づけて「フレーム・コロニー」。
あらゆる国有地や鉄道、河川、果ては都市施設の上空や港湾上にも、この巨大な鉄筋フレームを建て、ここに〝空中一戸建て″ユニットをはめ込んでゆくのだ。
フレームは国や自治体が建設し、その権利を居住者に貸す。
ユニットは住宅産業、ハウスメーカーが全国統一の規格サイズで生産販売する。
もちろん規格さえ合えば特注住宅も可能だ。
インテリアも自由自在。
フレームの権利は、全国主要都市ともネットワークがあり、転勤の際はいつでも家とともに気軽に引っ越しできる。
これで単身赴任のサラリーマンもうんと減る。
この〝安価〟なフレームの〝一戸建て″は、自動車のようにメーカーも選べるし、買い替えや下取りも自由だ。
隣か上下のフレームの権利を確保すれば、二世帯住宅も〝増築″も可能である。
さらに老後は、確保しておいた安い田舎の土地にこのユニットごとそっくり引っ越して、田畑を耕しながら健康でしあわせな老後を過ごす。
土地から住まいを切り離すと、新しい家が建つのである。
あとがき明治以降、近代化を始めて約百二十年がたつ。
産業から文化まで、あまりにも急激な西欧化の歴史だ。
今、生活の外観を見る限りにおいては、欧米の生活と変わらない。
だが生活の本質はいまだ「日本」であることを忘れていない。
この二重性がそのまま住宅や都市の問題ともなっている。
都市に庭付きの一戸建てを求めれば、次第に密集化して庭どころか風通しや日当たりを得るためのすき間さえもなくなる。
子供最優先の資産型の家づくりは親の生活を圧迫し、地価の高騰を招く。
これからの高齢化社会に向けて、果たして二世帯住宅が老後の解決策となりうるかも不安だ。
西欧式デザインの住まいは開放的な素足の生活になじみにくい。
ソファのリビングと床の間付きの座敷、夏はダイニングテーブルに冬はコクツの二重生活を送ることになる。
衣食もすべて和洋二重で、和ダンスにクローゼット、洋食器に和食器と収納も倍必要で、狭い住まいがますます狭苦しくなる。
住宅設計での現場や、筆者もメンバーである住改善委員会での相談事例からも、こうした住まいづくりの矛盾や混乱に身につまされることが多い。
肝心の住まいや住まい方はそのままに、外観やインテリア、そして設備機器などばかりが近代化された感がする。
新たな都市の「家」と、人々の心の中にある「家」をどうつなぎとめるかーそれがこれからの「家」と「家族」の発見でもある。
「家」はその時代、その世代に生きているのだ。
住まい「住」を、本音の生活「居」と、生まれ、成長し、やがて老いる「人」との相関関係すなわち「住・居・人」としてとらえていただければ幸いである。
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